世界から少しずれた誰かの、声にならない叫び。ささやかな祈り

ネクロバズとむくつけき勇者たち 14 盗難車

ネクロバズとむくつけき勇者たち 14 盗難車

第14話 盗難車

 午後三時。

 リプリーはチェインバーグ市立病院を出ると、スバルWRX S4を走らせた。

 向かう先は、チェインバーグの禁猟区だった。

 車内は埃だらけだった。

 後部座席には三冊の週刊誌と、骨の曲がった黒い雨傘が放り込まれている。

 ダッシュボードには、熱で変形した古いCDが置かれていた。今ではまともに音も出ない。

 恋愛を諦めてからというもの、車の中などどうでもよくなっていた。

 昔はマイケル・マクドナルドの甘い音楽なんかを聴いていたのだが。

 三十分ほど走ると、車は北東へ向かう国道に入った。

 道路の両側には小麦畑が広がり、単調な景色が延々と続いている。

 リプリーはカーナビの画面に触れ、オーディオメニューを開いた。

 初期設定ではウインドベルのサウンドスケープが流れるようになっていたが、今日はラジオ局を選んでみる。

 古臭いポップソングが流れてきた。

 愛していたあなたは 今は寂しい墓の中

 雨の降る夜には ゾンビとなって蘇る

 ああ 愛は蘇る

 蘇るのはいいけれど

 抽象的くらいがいいの

 あんまりリアルだと何だか困るの

 気持ち悪いし 臭いから

「くだらん」

 そう呟いたところで、腹が減っていることに気づいた。

 チェインバーグは農村地帯が大部分を占めている。

 道沿いには洒落たレストランどころか、大衆食堂すら見当たらない。

 禁猟区へ向かう道を少し外れ、しばらく走って、ようやく古びた盛り場を見つけた。

 周囲には小さな機械工場がいくつか並んでいる。

 酒場は何軒もあるのに、食事ができそうな店は一軒しかなかった。

 アルプス山脈から、そのまま転がり落ちてきたような山小屋風のレストランだった。

 リプリーは駐車場へWRX S4を停めた。

 そこで、白いGT-Rが目に入った。

 一度通り過ぎかけて、足を止める。

 盗難届けが出ていた車とはナンバーが違う。

 だが、ナンバープレートの周囲を眺めているうち、フレームに不自然な溶接跡があることに気づいた。

 リプリーは舌打ちした。

 怪しい。

 GT-Rのタイヤを靴底で軽く蹴り、店へ向かった。

 入口の周囲には、街道から店内を隠すように生け垣が張り巡らされていた。

「準備中なんですよ、お客さん」

 店内では、大柄なコックが掃除機をかけていた。

 最初に目についたのは、シェードに黒い油膜のこびりついたシャンデリアだった。

 ベージュ色の絨毯も、ところどころ黒ずんでいる。

「何か食べられるものはないか」

 リプリーが尋ねた。

 コックは答えず、掃除機を片づけ始めた。

 店の隅にある大きなテーブルには、十人ほどの男たちが集まっていた。

 痩せた黒人を囲み、ポーカーをしている。

 ゴロツキどもの溜まり場か。

「五時まで食事は出せません。飲み物なら何でもできますが」

 大柄なコックが戻ってきた。

 見事なヒトラー髭だった。

「飲み物も頼む。それから何でもいいから食わせてくれ。この土地に来てから、二時間も店を探してるんだ。つれなくしないでくれ」

「でも、材料が足りないんですよ。メニュー通りには作れません。シェフが市街地まで仕入れに行ってまして、戻るのは四時過ぎです」

「メニュー通りじゃなくていい。多少手抜きでも構わん。金は払う。それとノンアルビール」

「ノンアルビールはお持ちできます」

「食い物もだ。カレーライスでも何でもいい」

「カレーライスならできます」

「よし。それをくれ」

 コックは舌打ちして厨房へ戻った。

 窓際には水槽があり、三匹のエンゼルフィッシュが泳いでいた。

 食べ物以外の魚を見るのは久しぶりだった。

 リプリーはカードをしている男たちの方へ歩いていった。

 誰も気にしていない。

 白熱灯の下で、痩せた黒人の手だけが忙しくカードを集めていた。

「何か用かい、おっさん」

 長髪の男が振り返った。

 リプリーと、それほど年齢は変わらない。

 ダウンジャケットを着ていた。

「表に格好いい車が停まってるんでね。誰が乗ってるのか気になった」

「ポルシェ911ターボSでもあったのかい、おっさん」

「ニッサンGT-Rだよ」

「ああ。俺のだ」

 リプリーは男の顔を見た。

「名前を教えてくれないか」

 男が眉をひそめた。

「俺の名前を聞いてどうするんだよ」

「ディックっていうのか?」

 男の表情が止まった。

「なぜ俺の名を知ってる」

「聞こえたんだよ」

 リプリーは平然と言った。

「それより、あの車を売ってくれないか」

「あのポンコツを?」

 男は笑った。

「聞いたかよ、みんな」

 周囲の男たちも笑いだした。

 どの男も爪の間が油で黒い。

 おそらく近くの工場で働いているのだろう。

 痩せた黒人がカードから目を離した。

「売れない理由でもあるのかい」

「あの車はやめたほうがいい。エンジンをボアアップしてあるんだ。わかるか、ボアアップの意味」

「走らないのか」

「走るさ。煙をもうもうと吐きながらね」

「それじゃ仕方ないな。地道に中古車屋を探すよ」

「それがいいよ、おっさん。安いポルシェを見かけたら教えてくれ」

 男たちはまたカードを始めた。

 だが、一人だけ、猫背気味の痩せた男がリプリーをじっと見ていた。

 やはり、何かある。

 その時、コックが皿を持ってきた。

「カレーライスです」

「ありがとう。ノンアルは?」

「これからお持ちします」

 リプリーは皿を眺めた。

 この男の腕が悪いのか。

 それとも、カレーライスというものが元々こんなに芸のない食べ物なのか。

 どうにもぱっとしない。

 ため息が出た。

「何かご不満でも?」

 ご不満はある。

 だが、言わない。

 言えば言うほど、俺の血圧が上がる。

 ノンアルビールを持ってきた時、リプリーはコックを呼び止めた。

「景気のいい連中だな」

 カードの男たちを顎で示した。

「常連なんです。この近くの工場から来ます」

「こんな辺鄙なところで何を作ってる?」

「エアコンのコンプレッサーとか、車のドアとか。大きな会社から仕事を分けてもらってるんです」

「下請けか」

「そうですね。あの人たちは、車のドアを組み立ててるらしいですけど」

「工場の名前は?」

 コックは戸惑ったような顔をした。

 何かを思い出そうとしているふりに見えた。

 リプリーは張り倒したくなった。

 この大根役者が。

「ちょっと思い出せませんね、お客さん」

「そうかい」

 リプリーはカレーを一口食べた。

「なかなかうまいよ。君のカレー」

「ありがとうございます」

 コックが引き下がる。

 リプリーは冷えたノンアルビールを飲み干した。

 先ほどから、痩せた男がこちらを見ている。

 窓辺の水槽へ目を向けるふりをして、ガラスの反射でカードの席を探った。

 ダウンジャケットの男がいない。

 便所かな。

 いや。

 逃げたな。

「おい、金はここに置くぞ」

 コックが振り返った時には、リプリーはもう玄関へ向かっていた。

 テーブルには紙幣が二枚。

 カレーは三口しか食べていなかった。

 駐車場へ飛び出すと、GT-Rのエンジン音が響いた。

 男はまだリプリーに気づいていない。

 リプリーはWRX S4へ飛び乗り、そのままGT-Rの前を塞いだ。

 クラクションが鳴り響いた。

 ダウンジャケットの男がドアを蹴るように開け、こちらへ歩いてきた。

「あんた、俺に何の用だ」

「その台詞は前にも聞いたよ、ディック」

 リプリーは車を降りた。

「残念だが、そのGT-Rは盗難車だ」

 ディックの顔が引きつった。

 だが、すぐに目をそらした。

「こいつは俺の車じゃねえ。フレッドのだ」

 リプリーの目つきが変わった。

「フレッド? フレドリック・アーサーか」

 ディックが激しく瞬きをした。

「その男は死んだはずだぞ、ディック」

 男は苦しそうに顔をしかめた。

「本当なんだ。あいつが俺に譲ってくれたんだよ、お巡りさん」

「登録証を見せろ」

 ディックは重そうに身体を動かし、GT-Rから書類を取り出した。

 リプリーは受け取った。

 名義人は確かにフレドリック・アーサーになっている。

 だが、もう盗難車などどうでもよくなっていた。

 目の前にいる男は、チェインバーグの禁猟区で死んだ男とつながっている。

 しかも、同じ場所にいた可能性が高い。

「ふむ」

 リプリーは書類を眺めた。

「やっぱり盗難車だな、ディック。この紙切れも偽造だ。もう少し腕のいい印刷屋なら信用してやったが」

 書類を返すふりをして、一歩近づいた。

 ディックは落ち着かない様子だった。

 その時、背後に人の気配がした。

 カードをしていた連中が店から出てきていた。

 一人の大男が、いきなりリプリーへ飛びかかった。

 リプリーは振り向きざま、その男を内股で投げ飛ばした。

 それは相手の〇マを蹴り上げ、その勢いで身体ごと抱え込み、アンドロメダ星雲の果てまで投げ飛ばすという、高度かつ華麗な技だった。

 大男は路上に叩きつけられた。

 荒い呼吸をしていたが、やがて口から白い泡を吹き始めた。

 その後ろには鉄パイプを持った黒人を含め、五人ほどが並んでいる。

 だが、誰も前へ出ようとはしなかった。

「次は誰だい」

 誰も来ない。

 リプリーはつまらなかった。

 一人目からあんな大技を使うから、後が続かなかった。

 男たちは倒れている仲間の手足を持ち、店の中へ引きずっていった。

 リプリーは警察手帳を取り出した。

「車に乗れ。俺は警官だ」

 ディックは肩を落とした。

「俺の車に乗るんだ。変な真似はしないほうがいい」

 リプリーはWRX S4を指した。

 ディックは、生きた心地がしなかった。

 

つづく

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